フェルトセンスがなかなか見つからなくて困ります。
肯定的ないい感じを感じている可能性があったり、何かかすかな感じを感じている可能性があったり、言葉に描写しにくいものを感じている可能性があります。つまり、何か期待しすぎると見えにくくなるので注意します。
一つのことをフォーカシングすることができません。いろいろありすぎて・・・
いくつもある場合は、一つずつ相手をしていけばいいので、クリアリング・ア・スペース(CAS)を試してみます。
フォーカシングは問題があるときだけですか?気分が良いときはどうなんでしょうか?
フォーカシングは問題がある時にだけ行うものではありません。気分の良い時には気分の良いフェルトセンスが現れますので、話をしてみるといいでしょう。
目を閉じてからだを感じているとイメージが見えます。イメージもフォーカシングなのですか?
イメージもフォーカシングの一部です。ですが、そのイメージが身体からでてくる体感的イメージなのか、視覚的なイメージなのかが重要です。体感的イメージであればそれはフェルトセンスのように扱ってください。そうでない場合、視覚的なイメージの場合は、身体にみせてあげて、そのイメージについてどんな感じになるか尋ねてください。
イメージが出なかったらどうでしょう? それでもフォーカシングはできますか?
イメージが出てこなくてもフォーカシングはできます。イメージがでる、でないは全く関係がありません。感じることができればフォーカシングは成立します。
フェルトセンスに何か必要なのか尋ねた時、私にはあげられないものやあげたくないものだったどうするのですか?
必要なものを必ず与えなければ行けないと言うことはありません。必要なものがなんなのかを聞いてそれを知ることが重要であって、差し出す必要はありません。もちろん、愛が欲しいなどの要求には愛を与えるもの手段の一つですが、なぜ、フェルトセンスがそこにあって、それを必要とするのかを知ることによって状況が変わります。そして、さらに対話を進めていけばよいのです。
フォーカシングをしていると、だんだん自分が悪いという気になってきます。
フォーカシングをしていると批判的な態度を取る、評論家のような存在が出てくることがあります。この評論家と話をしていると自分ばかりが責められて自分が悪いように感じることもあります。この場合は、なぜ評論家がそんなことをいうのかを聞いてみます。そして、なぜ怖がっているのかを聞いてみます。ネガティブなブロックはこの評論家として現れることも多いので、きちんと対応することができればネガティブブロックを解除することができます。
全部自分のでっち上げだったらどうしましょう?
フォーカシングのプロセスの中で、疑惑家という存在がいます。あなたの体験は本当じゃない、自分で勝手に作り上げているだけだ、何も起こっていないなどと疑ってくる声です。疑惑家は疑うことしか知りません。疑惑家が出てきたと思ったら、気がついたことを身体に戻して、それがしっくりいくか確かめてみます。
フェルトセンスに質問しても頭が答えます。
頭が答えてくる場合は、かなりレスポンスよく返ってくる場合が多いです。その場合は『協力してくれてありがとう、あとでまた』といって、身体にもう一度聞いてみてください。しばらく感じていて、同じ答えが身体から返ってくるようならそれを受入れます。
フォーカシングのプロセスがまどろっこしくてイライラします。
いつもイライラするのなら、イライラすること自体にフォーカシングを行うのも一つの手です。
何か怖いものを見つけるのではないかと心配です。
いくつかの方法がありますが、先に怖いものを見つけるかもしれないと言うことについてフォーカシングをするもの有効な手段です。
一度に二つのフェルトセンスがでてきたらどうしたらいいですか?
両方に「こんにちは」と挨拶をして、両方と一緒にいていいか聞いてみるといいです。
どちらにせよ、両方のフェルトセンスを相手にする必要がありますので、同時がいいのか個別がいいのかを聞いてみて感じます。個別の方が良ければ、片方に下がってもらって順番にやっていけばいいです。
心理療法みたいなことを素人がするのは危険?
フォ-カシングは上述したように、もともと誰もが行っている自然なことであり、より意識して日常的に使いやすくするためにまとめられた技法です。否定的な感じ(嫌な感じ、哀しい感じなど)と出会ってしまったときのさまざまな方法もあります。
心理療法や精神分析などに「無意識の部分に働きかける/封印した過去への直面化」等のイメージをお持ちのかたがいらっしゃるかもしれませんが、フォ-カシングで扱うのは無意識の領域とも異なります。さらに、記憶や過去を掘り起こすわけでもありません。“今現在感じられるもの”に耳を傾ける方法です。また、そもそもフォーカシングでは、フォーカシングする人がしたいことを、したい場所で、したい人と、したいと思えるときにするという前提が大切にされます。